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大阪地方裁判所 平成10年(ワ)2587号 判決

原告

甲野太郎

甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士

渡辺和恵

横山精一

被告

三井海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

井口武雄

右訴訟代理人弁護士

渡辺徹

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告甲野太郎に対し、金一五一万三五〇〇円及びこれに対する平成一〇年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野花子に対し、金一五一万三五〇〇円及びこれに対する平成一〇年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告らの子である甲野次郎(以下「亡次郎」という。)が急激かつ偶然な外来の事故により死亡したとして、原告らが、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)と被告との間のこども総合保険契約(以下「本件保険契約」という。)に基づき、被告に対して保険金の支払を請求した事案である。

二  前提となる事実(3、16を除いて当事者間に争いがない。)

1  亡次郎は、昭和五八年八月一四日、原告らの長男として出生したが、出生後すぐに大阪市立大学医学部附属病院(以下「本件病院」という。)において糖原病であると診断され、以後死亡に至るまで約四〇回近い入退院を繰り返してきた。

2  糖原病とは、グリコーゲン代謝の先天的な異常により生体組織にグリコーゲンの量的及び質的異常を来す病気であって、いくつかの病型が存在するが、亡次郎のり患していた糖原病Ⅰb型は、グリコーゲンを正常に分解することができないため、肝臓や腎臓にグリコーゲンがたまり体内の血糖値が低くなるなどの様々な障害をもたらすものである。

3  亡次郎は、平成四年ころ、低血糖発作による脳障害が発生し、入浴により体が温まるとてんかん発作を引き起こしやすくなった(甲四)。

4  原告太郎は、平成八年三月二日、被告と本件保険契約を締結し、同日、保険料として二万七〇〇〇円を支払った。

(一) 保険名称 こども総合保険

(二) 証券番号

〇七一二五九八二八四

(三) 保険金支払の対象 急激かつ偶然な外来の事故による被保険者の傷害又は死亡

(四) 死亡保険金

三〇二万七〇〇〇円

(五) 被保険者 甲野次郎

(六) 死亡保険金受取人

指定なし

(七) 保険期間 平成八年四月一日から同一一年四月一日午後四時まで

(八) 保険料払込み方法 一時払

(九) 保険料 二万七〇〇〇円

(一〇) 免責事項 (1) 被保険者の脳疾患、疾病又は心神喪失によって生じた傷害又は死亡は、保険金支払の対象とはならない。

(2) 急激かつ偶然な外来の事故により傷害を被ったとき既に存在していた疾病の影響により傷害が重大となったときは、その影響がなかった場合に相当する金額を決定してこれを支払う。

(一一) 特約事項 死亡保険金受取人の指定がなされていない場合には、被保険者の法定相続人を受取人とする。

5  亡次郎は、平成八年四月、大阪市立瑞光中学校に入学した。

6  亡次郎が、中学入学後に本件病院に入院した際、亡次郎にてんかん発作の危険があることを理由に、本件病院の担当医師は、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に対し、亡次郎の入浴に付き添うよう指示した。そのため、原告花子は、右指示に従い、亡次郎の入浴の際には、一緒に浴室に入るなどして亡次郎を介助した。

7  原告花子は、同年一二月二四日、前記瑞光中学校の養護教員とともに本件病院に行った際、同病院の医師らから「火と水は命にかかわるので気をつけるように。ふろに入るときはだれかが付いているように。」と注意された。

8  亡次郎は、平成九年に入ると、てんかん発作を起こしてふろ場で倒れることがあり、同年四月には三日に一回の割合で倒れるようになった。

9  亡次郎は、同月二八日、六回にわたるてんかん発作を引き起こした。

10  原告花子は、同月二九日午前三時ころ、亡次郎の引きつけで目を覚まし、亡次郎の額にたんこぶがあることに気づいたため、事情を聞くと、トイレで倒れたと答えた。

11  亡次郎は、同月三〇日、本件病院において診察を受け、同日、本件病院に入院した。

12  亡次郎は、同年五月一〇日午前六時ころ及び同日午前八時五〇分ころの二回にわたっててんかん発作を起こした。なお、二回目の午前八時五〇分ころの発作の際には、病室のベッドの横に倒れているところを発見されて治療を受けた。

13  亡次郎は、同日午前一〇時一五分ころ、入浴のため浴室に入ったが、担当看護婦は入浴に立ち会わず、途中で退室した。

14  担当看護婦は、同日午前一〇時三〇分ころ、亡次郎が、てんかん発作を起こして浴槽の中でおぼれ、意識を失っているところを発見した(なお、事故という場合、一般的に傷害の原因となる一連の事実を指すが、ここでは便宜上でき水のみを指して「本件でき水事故」ということとする。)。

15  その後、亡次郎は、本件病院において、治療を受けたが、同月一一日午後三時二一分ころ、でき水を原因とする窒息により死亡した。

16  原告らは、平成一〇年九月一六日、本件病院の開設者である大阪市との間で、大阪市が、原告らに対し、療養介護義務を怠ったことを認め、三〇〇〇万円を支払うことを内容とする和解をした(甲一三)。

17  亡次郎の法定相続人は原告らだけである。

第三  争点

一  本件でき水事故は、急激かつ偶然な外来の事故といえるか。

(原告らの主張)

1 急激性

急激性とは、言葉の自然な解釈からいって事故の原因と結果との時間的間隔がないことを意味し、そのことにつきると解すべきである。

そうすると、担当看護婦による監視義務違反の過失により亡次郎ができ水したのは、平成九年五月一〇日午前一〇時一五分から同三〇分ころまでの間であり、そして、翌一一日午後三時二一分には死亡しているのであるから、「事故の原因と結果との時間的間隔がない」ことは明らかであり、本件でき水事故が急激性の要件を満たすことは明白である。

2 偶然性

偶然性とは、被保険者にとって事故の原因ないし結果の発生が予知できない状態にあることをいうと解すべきである。

本件病院は、亡次郎を入浴させるに当たり、万全の対策を講じた上で入浴させるべき注意義務を負っており、亡次郎も本件病院が万全の対策を講じているものと信頼していたと思われる。また、亡次郎が、入浴行為の危険性を認識しながら、積極的に看護婦の退室を求めたという事実もない。

したがって、亡次郎が、看護婦の過失又はでき水による死亡を予知することはおよそ考えられず、本件でき水事故が偶然性の要件を満たすことは明白である。

3 外来性

外来性とは、事故の原因が被保険者の外からの作用であることをいい、身体の内部に起因するものは除外されると解すべきである。

本件でき水事故の原因は、本件病院が、①てんかん発作を起こす危険性の高い亡次郎を入浴させ、かつ、②でき水を防止する義務を果たさなかったという点にあるのであり、亡次郎の身体内部の問題とは全く異なる作用に起因するものということができるから、外来性の要件を満たすことは明らかである。

(被告の主張)

1 急激性

(一) 事故の急激性とは、事故の原因と結果との時間的間隔がないことをいい、純然たる自然原因(衰弱や疾病)などに帰すべき身体の傷害は除外されると解すべきである。

(二) この点、亡次郎は、脳障害によるてんかん発作を頻繁に繰り返していたのであって、特に平成九年四月以降は三日に一回の割合でてんかん発作を起こしており、本件でき水事故当日も朝から二回にわたりてんかん発作を起こしていたのである。

そして、かかる状況の下で、亡次郎は、本件でき水事故当日午前一〇時一五分に入浴した上、看護婦に退室を求めた結果、入浴中にてんかん発作を起こしてでき死したのである。

(三) したがって、亡次郎の死亡原因は純然たる自然原因である疾病に帰すことが明白であるから、本件でき水事故は急激性の要件を欠くというべきである。

2 偶然性

亡次郎は糖原病にり患し、てんかん発作を頻繁に繰り返していたのであるから、亡次郎自身、入浴中にてんかん発作を起こしうること及びてんかん発作を起こせば、看護婦不在のためでき死してしまうことを十分に認識していたはずである。

したがって、亡次郎は、本件でき水事故の原因ないし結果を予知できたということができるから、本件でき水事故は、偶然性の要件を欠くというべきである。

3 外来性

(一) 死亡を招来するような素因を身体内部に抱えている者が、何らかの外部的要因を契機とする素因の現実化により死亡するに至った場合、そのような外部的要因が日常生活上普通に起こり、通常人であればおよそ死亡に結びつかないものであるならば、その外部的要因をもって外来性を有すると解することはできない。

(二) 単独での入浴行為そのものは、通常人であればおよそ死亡には結びつかない行為であり、入浴行為によるてんかん発作の発生は、亡次郎の体質に起因するものである。

(三) したがって、本件でき水事故の契機となった外部的要因が、病院側による亡次郎を単独で入浴させた行為にあるとしても、その外部的要因をもって外来性を有すると解することはできない。

二  亡次郎の死亡は、脳疾患、疾病又は心神喪失によるものといえるか。

(被告の主張)

1 糖原病によるてんかん発作が、「脳疾患、疾病又は心神喪失」に該当することはいうまでもない。

2 ①入浴自体は、一般社会生活において通常行われる行為であること、②亡次郎が看護婦の退室した浴室内ででき死するに至ったのは、身体の自由喪失以前における周囲の環境に基づく因果関係の進行にすぎないものであり、これをもっててんかん発作後に生じた異常な事態といえないことからすれば、本件でき水事故はてんかん発作による身体の自由喪失に起因するものといわざるを得ない。すなわち、疾病の影響がなかった場合に相当する損害金は存在しないし、また、疾病なければ死亡なしの関係も認められる。

3 したがって、亡次郎の死亡は、「脳疾患、疾病又は心神喪失」によって生じたものというべきである。

(原告らの主張)

1 亡次郎は、入浴により体が温まるとてんかん発作を引き起こすことがあるため、亡次郎の入浴は、看護婦の介助・監視下で行われるべきであった。本件でき水事故は、亡次郎がそのような状態にあったにもかかわらず、看護婦が介助・監視を怠り浴室を離れたことによって発生したものである。

入浴時に発作が起こったとしても、看護婦が介助・監視を怠らなければ、亡次郎はでき水することはなく、本件でき水事故も発生しなかったはずである。

2 したがって、亡次郎の死亡を「被保険者の脳疾患、疾病又は心神喪失」によって生じたものということはできない。

第四  争点に対する判断

一  亡次郎の死亡原因について

1  まず、前提となる事実1、3及び6から15までを総合すれば、亡次郎の死亡に関連のある事実は、次のような経過で生じたものと認められる。

(一) 亡次郎は、糖原病Ⅰb型にり患していたため、平成四年ころ、低血糖発作を起こし、脳に障害を受けた。

(二) 亡次郎は、平成九年五月一〇日当時、右脳障害の影響により、入浴等で体が温まるとてんかん発作を引き起こす可能性が高い状態にあった。

(三) 亡次郎の担当看護婦は、同日午前一〇時一五分ころ、入浴中の亡次郎を一人浴室に残して浴室から離れたため、亡次郎は、浴室内に監視者がいない状態で入浴した。

なお、前提となる事実3及び6から12までを総合すれば、亡次郎の担当看護婦は、医師の指示に従い、亡次郎が入浴するに当たり、亡次郎がてんかん発作を起こしても適切に対処することができるよう亡次郎を介助・監視すべき注意義務(以下「監視義務」という。)を負っていたものということができ、したがって、右担当看護婦の浴室からの退室行為は、監視義務違反(以下「看護婦の過失」という。)であると評価することができる。

(四) 亡次郎は、同日午前一〇時一五分から同三〇分までの間に、浴槽内でてんかん発作を起こして意識を失ったため、浴槽内でおぼれ、窒息した(本件でき水事故)。

(五) 亡次郎は、翌一一日午後三時二一分ころ、右でき水による窒息が原因で死亡した。

2  右認定事実によれば、てんかん発作と看護婦の過失という二つの事実と本件でき水事故との間に条件関係があることは明らかであり、本件でき水事故は、てんかん発作と看護婦の過失の双方を原因とするものであると解すべきである。

二  本件でき水事故は、急激かつ偶然な外来の事故によるものといえるか。

1  急激性について

そもそも、本件保険契約は、疾病の結果など自然原因に帰する身体の損傷をその保険保護の対象から除外するために、保険保護の対象となる事故(保険事故)を急激かつ偶然な外来の事故に限定しているのである。そうであるとすれば、かかる急激性とは、事故の原因から結果発生までの過程が直接的で時間的間隔のないことをいうと解すべきである。

この点、本件では、前記一1(亡次郎の死亡に関連する事実)において認定したとおり、看護婦の過失、てんかん発作、本件でき水事故及び亡次郎の死亡という一連の事実が短期間に発生しており、事故の原因から結果発生までの過程は直接的で時間的間隔がないものということができる。

よって、本件でき水事故は、前記急激性の要件を満たす事故であるということができる。

2  偶然性について

(一) 本件保険契約は、前記のような目的から保険事故を急激かつ偶然な外来の事故に限定しているのであるから、偶然性とは、被保険者の立場から見て事故の発生を予知できないことを意味し、被保険者にとって予知できない原因から傷害の結果が発生することをいうと解すべきである。

(二) この点、本件では、亡次郎は、当時一三歳であり十分な判断能力を有していなかったのであるから、看護婦の過失を予知することは事実上不可能であったということができる。

これに対し、被告は、亡次郎自身、入浴中にてんかん発作を起こしうること及びてんかん発作を起こせば、看護婦不在のためでき死してしまうことを十分に認識していたはずであるとして偶然性の要件を欠くと主張するが、本件でき水事故の原因をてんかん発作とのみとらえている点で失当であり、これを採用することはできない。

よって、本件でき水事故は、看護婦の過失が原因となっている限度において前記偶然性の要件を満たす事故であるということができる。

3  外来性について

(一) 本件保険契約は、前記のような目的から保険事故を急激かつ偶然な外来の事故に限定しているのであるから、外来性とは、被保険者の身体の内部に起因する傷害を除外することを意味し、事故の原因が被保険者の身体の外からの作用であることをいうと解すべきである。

(二) この点、本件では、看護婦の過失が、亡次郎の身体の外からの作用であることは明らかであるから、看護婦の過失が原因となっている限度において外来性の要件を満たす事故であるということができる。

これに対し、被告は、単独での入浴行為そのものは、通常人であればおよそ死亡に結びつかない日常的な行為であり、かつ入浴行為によるてんかん発作の発生は、亡次郎の体質に起因するものであるとして、本件でき水事故は外来性の要件を満たさない旨主張するが、前記のとおり、亡次郎の単独での入浴行為は、看護婦の過失によって行われたものであって、その限りにおいて非日常的な事象であることは明らかであり、右被告の主張を採用することはできない。

4  したがって、本件でき水事故は、看護婦の過失が原因となっている限度において、急激かつ偶然な外来の事故(保険事故)であるということができる。

三  亡次郎の死亡は、脳疾患、疾病又は心神喪失によるものといえるか。

1(一)  そもそも、傷害保険契約においては、疾病の結果など自然原因に帰する身体の損傷をその保険保護の対象から除外するという趣旨を徹底する見地から、保険事故と疾病が競合していてもその傷害結果に対する寄与度について疾病の方が勝っていると評価することができる場合には、被保険者の脳疾患、疾病又は心神喪失により生じた傷害であるとして保険金を支払わないものとしている(普通保険約款二条一項五号)。

この点、前記第一項(亡次郎の死亡原因)で認定したとおり、本件でき水事故の原因は、疾病によるてんかん発作と看護婦の過失の二つであると解され、どちらか一方のみを本件でき水事故の原因であると解することはできないし、また、いずれも単独で本件でき水事故との間に条件関係が認められるため、いずれか一方でも欠ければ、本件でき水事故は発生しないという関係にある。

しかし、亡次郎は、生後間もなくり患した糖原病による脳障害によって入浴により体が温められるとてんかん発作を引き起こすようになったのであって、また、右事実があったからこそ、本件病院において亡次郎の看護を担当していた看護婦に監視義務が課されていたのである。もちろん、担当看護婦の過失は、糖原病による脳障害とは無関係に同人の不注意によって引き起こされたものであるから、これについてまで疾病によるものであると評価することはできない。しかし、亡次郎に疾病がなければ、かかる監視義務の存在すら問題とならなかったのであるから、亡次郎が糖原病にり患してから死亡するに至るまでの一連の事実経過を全体的に考察すると、てんかん発作の原因となった糖原病による脳障害が看護婦の過失よりも強く亡次郎の死亡に寄与しているということができる。

(二)  以上によれば、本件でき水事故は、看護婦の過失が原因となっている限りにおいて保険事故であるということができるが、看護婦の過失よりも糖原病による脳障害の方がより強く亡次郎の死亡に寄与しているということができるから、普通保険約款二条一項五号により、保険金の支払は免責されるというべきである。

2  なお、本件でき水事故は、看護婦の過失が原因となっている限りにおいて保険事故であるといえることから、普通保険約款一〇条により、看護婦の過失が結果に影響した限りにおいて割合的に免責を認めるにとどめるべきではないかが問題となり得る。しかし、被保険者が死亡してしまった場合、死亡という結果が一つである以上、原則として程度又は分量の観念を入れる余地はない。それゆえ、特段の事情が認められない限り、保険者が保険金の割合的支払義務を負うことはないと解すべきである。そうすると、本件においては、てんかん発作も看護婦の過失も、単独で本件でき水事故との間の条件関係が認められ、一方がなかった場合の損害又は他方がなかった場合の損害を割合的に観念することができないから、前記特段の事情を認めることはできず、同約款一〇条を適用して割合的な免責を認めることは許されない。

第四  結論

以上によれば、本件でき水事故は、疾病免責条項が適用される場合に当たるから、原告らによる本件保険金の請求は、理由がない。

(裁判長裁判官竹中邦夫 裁判官森實将人 裁判官武智克典)

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